島薗先生最終講義

▼2月6日、島薗先生の最終講義があるということで、本郷へ。
大雪の予報に焦るも、幸い雪は雨に。
しかし、法文の1番大教室で講義、2番大教室で中継と聞き、そんなに人が来るなら早く行かねばとせっせと移動。
15時半開始と勘違いして慌てて駆け込んだら、15時半開場16時講義開始だったらしく、良席を確保。

▼前に座ってるおじちゃんに、別のおじちゃんが名刺渡してるなー、と思っていたら、
島田裕巳」の名が見えてびっくり。
まぁそうか、島薗先生の最終講義となれば、この業界の研究者が集まってくるのか。

▼市川先生(相変わらず見事なロマンスグレー&よい声)の司会、
池澤先生による島薗先生の経歴紹介の後、最終講義スタート。
「日本人の死生観と宗教」というテーマの冬学期講義の最終回でもある
今日の講義の題材は、小林一茶
この人物をここでとりあげたのにはいろいろ理由があったようですが、
「後付け」と言いながら先生が
「一茶は64歳でこの世を去りました。私は父の仕事の都合で東大病院で生まれ、64歳で東大を去ります。」
と言ったのが印象的。
あと、二人とも真宗地帯の生まれということもちょっと影響しているのかもとも。
一茶の人生と句、友人の句や愛読の仏教説話集を追いながら、講義は進んでいきました。
「用のない 人と言はれて 夜寒かな」(一瓢)
の紹介時は、「まぁ文学部生がよく言われるやつですね」とのコメントで笑いが。
そしてこれが後の質問へと。

▼講義終了後の質疑応答の時間は30分。
この場で質問できるのは研究者のみなさまなわけで、次々と質問が。
いちばんの盛り上がりは、やはり島田裕巳さんの質問でしょうか。
失礼を前もってお詫びになった上で、

「先生のお父様がお亡くなりになったとき、お母様が『息子が医者にならないと決めた時のほうがショックだった』と仰っていました。
実際、お父様をはじめ高名な医者の一族に生まれ、文3から文学部に入ったような私と違って理3に入学されたのに、なぜ文学部に、それも宗教学に進まれたのですか。
医者になりたいと思ったことはないのですか、宗教学に進んで後悔の念は全くないのですか。」

これに対して島薗先生、

「私は幸い島田さんと違って『宗教学に進んだためにひどい目にあった』という経験がないので、宗教学に進んでよかったと思っているのですが…。(以下略)」
そんなさらっと強烈なカウンターを…

さらに司会の市川先生、

「いやぁ、これは質問を途中で遮ろうかと思ったんですけど、よい切り返しができてまとまったようでよかったです。」

またそんなええ声と笑顔ですごい追い打ちを…

▼他の研究者の方との質疑応答もいろいろあり、18時に講義は終了。
場所を山上会館に移して、「島薗先生を囲む会」へ。