弾丸帰省

▼というわけで月曜1日かけてなんとか段取りをつけ、火曜の早朝便で弾丸帰省スタート。
10分の遅れが1時間待ちを引き起こす宮崎空港の罠を実感しつつも昼には実家に到着。
柩に眠る祖母を見ても、実感がわきません。
仮通夜に来てくださった皆様が絶賛したとの通り、97歳とは思えない肌と髪の美しさです。
午前で仕事を終えた下の姉が買ってきてくれた、祖母の好物、祖父の好物を柩の中に入れ、父の従兄弟衆に手伝ってもらって柩を車へ運び、お膳を持って、通夜を行う斎場へ。

▼斎場では、見たことないくらい若い祖母の遺影がお出迎え。
私「これ…園遊会のときの?」
姉「そう! お祖父ちゃんのとき、『園遊会のときの写真にすればよかった!』って後悔したから、昨日の夜、何時間もかかって探し当てた! いいでしょ!」
私「うん、すごく綺麗だけど、これって私が生まれる前だよね」
斎場入口で流れるDVDでは「昭和52年 園遊会御召記念」と字幕が出ていました。36年前の写真。

▼斎場入口のDVDでは、他にも姉が探し当てた昔の写真がいろいろと。
祖父と祖母の結婚式の写真は、孫の代はみな初めて目にしました。
お祖父ちゃんっ子だった姉は、この写真を見つけて母親に「誰?」と尋ね、「お祖父ちゃん」と言われて、「そんな!だって毛が…髪の毛があるよ!?」
まぁ衝撃はわかります。でも顔はしっかりお祖父ちゃん。若い。
そして祖母は、いまだに近所の人たちから、「あんな綺麗な花嫁は見たことがない」と言われる花嫁姿。
一方、晩年にデイサービスで撮影した笑顔の写真もたくさん。
確かにやわらかい、良い笑顔でみんな誉めるのですが、祖母の性格を知る身内からすると、
学校でなんでも一番でないと気がすまなかった祖母の「優等生たるためのつくり笑顔」に見えるのです。
そうなると、多少きついと言われようと、さすがに36年前はやりすぎではと言われようと、やはり気合いの入った園遊会の写真がとても祖母らしくて、家族としてはこちらを遺影にしたかったのです。

▼通夜が始まると、最初に、祖母がここ数年ずっとお世話になっていたデイサービスの職員さんたちがみんな来てくれました。
泣いている方も結構いて、おそらく祖母の担当だったのであろう若いお兄さんが最後まで柩のそばで祖母の顔をじっと見ていて、ああこの人たちは家族の知らない祖母を、いっぱいお世話をしてくれて、いっぱい愛してくれたんだなぁと。
そして別人のように凛とした遺影を見てびっっっくりしただろうなぁと。

▼途中で、よしだくんのお母様に声をかけられてびっくり。
そう言えば、よしだくんのお母様とは遠い親戚になるのでした(祖父は9人兄弟で、それぞれが3〜8人ずつ子どもがいるので、それぞれの縁戚まで含めるともはやよくわかっていないのですが)
参列者にお辞儀をしながら、下の姉が「今の人は、○○おじさんの息子の△△さん。☆☆に住んでいて、娘さんが姉ちゃんの1歳上。次の人は□□の奥さんとその娘さん。□□さんはもう亡くなってるけど★★とかでお世話になってて…」
とよどみなく話すのを聞いて、「お姉ちゃん見てて、その昔、ノーメンクラートルっていう『名覚え奴隷』っていうのがいたという話を思い出して納得した」と思わず。
顔の認識力が弱い自分には、到底無理な芸当です。姉はそう言っているそばから、わからない人については叔父と母に尋ねて、どんどん情報をアップデート。

▼夜11時過ぎ、叔父と親戚の男性数人を残して、いったん仮眠。
控室には夕食代わりにオードブルが用意してありお肉もお魚も山盛りでびっくりしました(うちの家族は全員精進中)が、まぁこれが普通ということか。
4時前に起きて交代し、あとは朝まで下の姉とお線香やろうそくを見守りつつ。